プラセンタの普及

現在のようにプラセンタが広く普及した背景には、『組織療法』の発展があります。組織療法とは、患部の皮膚の中に別の組織を埋め込むという治療法です。

[組織療法とは?]
旧ソ連の眼科医であったフィラトフ博士は、角膜移植の際、一度冷蔵した角膜のほうが成功率が高く、全身への影響もよいということを発見しました。その後も研究を続けた博士は、動植物の組織は冷却されるという刺激によって、生体組織が生き残るための活性化物質を作り出すということを発見、その物質を「生物原刺激素」と名づけました。この「生物原刺激素」を利用して行う治療法を『組織療法』と呼んでいます。

[組織療法とプラセンタ]
1930年代フィラトフ博士がこの組織療法に初めてプラセンタを使用しました。この時の博士の報告では、プラセンタは全身の機能の活性化だけでなく、病気の部分の治癒を促進する作用に優れるとしています。

[組織療法と日本]
日本へは、戦後になって組織療法が輸入されました。
1950年には組織療法を研究する医師らが集まり、「組織療法研究所」が設立され、プラセンタ・エキスを利用した更年期障害や乳汁分泌不全の注射薬の研究・開発を行い、「メルスモン」という名前で医薬品としての認可を受けると、1956年に「メルスモン製薬株式会社」として注射液の製造・販売を始めました。

また、違うルートでプラセンタ・エキスを日本に広めたのは稗田憲太郎博士です。
稗田博士が開発し成功させた「冷蔵胎盤漿液療法」に基づき、1959年に肝硬変治療のための注射薬「ラエンネック」が登場しました。

プラセンタの歴史

プラセンタが利用され始めたのはごく最近のことではなく、昔から主に医療用として利用されてきました。
紀元前には既に、「医学の父」と言われるギリシャのヒポクラテスが、プラセンタに着目、治療薬として利用していたそうです。

中国でも4000年近く前に産後の回復や滋養強壮に効くとして、プラセンタを乾燥させた「紫河車」という名の薬があったそうです。秦時代には、「不老長寿」の妙薬として始皇帝が珍重していたという記録もあります。また、楊貴妃やクレオパトラ、マリー・アントワネットといった世界の美女たちも、若返りの薬として使っていたといわれており、プラセンタが美容に良いということは経験的に知られていたようですね。

日本では江戸時代の加賀の三大秘薬の一つである「混元丹」に、漢方薬としての「紫河車」が含まれていました。

1930年代のソビエト連邦では、負傷兵の治療を行う目的で、プラセンタの組織片を皮下組織に埋め込む研究が行われていたそうです。この、ソビエト連邦における政府主導の研究は、原材料のプラセンタ確保の問題から打ち切られましたが、この時の研究によってプラセンタの有効性を認識した研究者などにより、プラセンタの研究開発は連綿と続けられていました。

日本でも、ソビエト連邦のプラセンタ研究に刺激を受け、独自の研究開発が行われ、プラセンタのもつ様々な働きが次々と解明されました。現在では、医療分野をはじめ、健康に、美容に、広い範囲での利活用が進んでいます。